呉 鎮 守 府 の 開 庁
| 明治16年(1883)2月12日から7月25日の間、西海鎮守府の候補地を求めて広島県から山口県にかけて沿岸の調査・測量が実施されました。 | ||||||||||||||||||||
| この時の調査で安芸郡の呉浦が軍港としての最適地であることが実証され、それまでの平穏な村落が世界的軍港へと変貌を遂げていったのです。 | ||||||||||||||||||||
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| 明治18年3月17日に 海軍卿から太政大臣に宛てた「西海鎭守府設置其ノ他ニ關スル件」では、呉港、あるいは江田湾が鎮守府の位置とされていますが、結果的には呉港が鎮守府の位置に決定し、江田島は我が国唯一の海軍兵学校の移転先とされました。 | ||||||||||||||||||||
| その理由は、呉は守るに堅い安全無比の地勢であり、江田島は純朴な環境であったことにより教育に最適の地であったからなのです。 | ||||||||||||||||||||
「西海鎭守府設置其ノ他ニ關スル件」 ⇒ 原文を読む |
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| そもそも、鎮守府の位置たる要件は、次の通りである。 | ||||||||||||||||||||
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| 以上のごとく、このような良港は他にあろうはずがない。 | ||||||||||||||||||||
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また、呉港西方の江田湾は港口五百ヤードとやや狭いが、港内はあたかも湖水のごとく安全であり、すこぶる良港でその形勢よし。 ただし、内地と少し離れてはいるが、その距離はわずかであり、船舟の便があるため不便な所ではない。 よって、呉港もしくは江田湾の中を鎮守府、造船所等設置の地とご決定されたものである。 |
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鎮守府配置の理由および目的 |
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| 呉鎮守府はその海勢奥深く、佐賀関海峡だけ防御上の欠点が多いけれども、東西に紀淡海峡馬関海峡の天険を有し、尚、内海には幾多の島々に砲台建築の企図もあり、宮島、早瀬、音戸方面、その他必要な場所に水雷を布設すれば、その堅い守りはますます強固となり、仮に事ある日といえども容易に敵襲を受けるおそれはなく、実に安全無比の地であることによって、帝国海軍第一の製造所を設け、将来益々その規模を拡大し、兵器、艦船を造出し、またこれを利用して教育の一大源泉とするに最適の地である。 ゆえに呉鎮守府はもっぱら製造の事を主とし、出兵準備はやや小規模でよく、また呉鎭守府の管区は海峡が多く航海練習には不便であるため、海兵団には常に補充員のみを置くことを要す。 |
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